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【健瀧ゼミナール063】「和と環の日本」


 この「和と環の日本」という題名を、何故つけたかと言いますと、日本の今の時代は宗教界も政界も財界も教育界も、工業や農業の産業界も芸術や芸能界もメディア界など、日本の文化が全てと言っていいぐらい、カオスからカタストロフ化し、甚だしく衰退の一途を辿り、かつての日本の歴史に無いぐらい、いま日本人は堕落をしているからです。

 現代の日本は特に、バブル崩壊とオウム真理教事件以降の日本の国民たちは、極端に変貌して行きました。

 その影響である、生きて行く糧の「金と物」が減って行く不安と、宗教や信仰に縋る精神世界は恐怖と成り、その両者は二重デフレスパイラルとなり下降して行ったのです。

 それによって日本人の心と物へのバランスは雪崩の如く崩れて行きました。かつて日本の歴史上に無い、「心と物の相互的な関係の解離」が起きたのです。

 それは古くから日本人に言い伝えられて来た、大自然が命や物(金)を与えてくれて、それに無条件に感謝をして、その恩恵に報いる為に、心と身を清め禊ぐ思想が、日本人の伝統的な心であったはずのものが、経済バブルと同じように崩壊して行ったのです。

 人間や社会を織り成す心と物の関係は、お陰様とか有り難いと思うバックボーンの大自然、あるいは神仏への心からの感謝や信仰心が希薄になって来て、しまいにはその心と物(金)や事の関係に解離が起き、宗教や心の精神文化から、物中心の唯物主義に相転移が起きて行ったのです。

 それに対して昔の日本は、どんな事があっても大自然の恩恵を忘れずに、生きとし生ける物の生命の尊厳を大事にし、大自然や神と仏を信仰して日本人は皆んなで助けて合って、どんな苦難も乗り越えて来ました。

 今は大自然や神と仏、心や精神という精神文化なる言葉はタブーにされ、古来から日本人が紡いで来た自然と共に生き、物の一つを造るにも宇宙や大自然の万物を生命の繋がりとして、あるいはその根源に基づいたシンポルティックな、純粋なる普遍的な美に魂をいれて創作物が造られていました。

 そこには、この当時の列島に自然に集まって来た多様なる人種が、この列島の気候風土や四季バランスのエレメントに絶妙に調和されています。その自然と共生された日本人の物づくりの元型としては、まさにそれが見事な縄文式土器であります。

 そんな物の関係性と営み、生命環境の連鎖である日本民族としての伝統文化が近年、遮断されて来ました。

 この冷血なる行為行動に輪を掛けて、いつもの手口で、マスメディアや産業界、金儲けを企み、利潤一片通りで、理念の無い心との対話の無い企業も殆どで、日本国民を操りマインドコントロールをして、心や人の生命感の無い、無機質な物造りを仰いで造って来たのです。

 そして日本国民も罪悪感についても考えることを避け、また感じることも避けて来ました。

 その真相は今の日本社会の全てと言ってもいいぐらい、欺瞞と偽装の社会潮流を造って来たのです。

 何故このような愚か過ぎる日本国と日本人に堕落したのか?

 一体、日本とは何なのか?

 今その原点を問うことをしなければ、本当の日本は観えてこないし、また日本の自然や気候風土の理気に合った、この国を再建することも出来ないのです。

 私はその真相を徹底的に検証し、出来るだけ正確に解釈していき、それは私の晩年のミッションとロマンティズムへの遥かなる旅を続けております。

(2019年4月26日 広島ロータリークラブ講話より)


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