卓話「日本人の心」

(2016年1月18日 川崎とどろきロータリークラブ 第815回例会にて)

 小中健瀧と申します、よろしくお願いします。ここにタイトルを「日本人の心」と付けて頂きました。これは、私の予定したタイトルと違うのですが、かえって良かったんじゃないかと思います。

 私が考えていたタイトルは「世界の平和は縄文思想から始まる」或いは「甦れ大和日本」という長いタイトルだったので、却ってコンパクトにまとまって良かったんじゃないかと思います。

 

 私は、今年61歳になりますが、40歳頃から段々と、日本と云う国を考え直してみまして、今の日本が、本当に日本らしい日本なのか、あるいは日本人という人々が本当に日本人らしい日本人なのか、そういうことをどうしても考えざるを得ない心境になって来ました。

 

 以来30数年この研究を行っておりますが、まず「日本」という名前が付いたのはいつからか皆さんご存知でしょうか。

 

 一番最初に「日本」という言葉が出て来るのは、『日本書紀』から、いわゆる記紀万葉です。実際に使われるのは平安になってからで、以降「日本」と名乗っていくわけです。それまでは「大和」という名前が前身にあります。"やまと"の漢字も色々変化するわけですが、「大きな和」と書いて大和といいます。私の研究では、他の方々も表明していますが、「日ノ本(ひのもと)」と名乗ってから随会戦争が多くなった、というのが私の持論です。

 

 日本とは日ノ本という象徴を表します。伊勢神宮の天照大神を主体とした国家神道を作っていく訳です。火という象徴。「火の粉が飛ぶ」とも言います。争いに繋がっていく象徴でもあります。ですから、いい所もあれば、戦争も起きやすい。

「和をもって尊し」と聖徳太子は言いました。和という漢字の語源について。和の左側は「のぎ偏」ですが、これは「稲」の表象文字です。右は口です。「稲を食して和らぐ」これが和の本義です。稲作文化の象徴でもある。

 ここでもう一つ掘り下げる前に、近代の現象についてお話ししたいと思います。

 ・宇宙が出来てから138億年(従来の説より1億年長かったことが明らかになりました)
 ・地球の誕生から46億年
 ・日本が出来てから、神武天皇が即位してから(紀元節)だと今年は2676年です。
 ・今上天皇は125代目

 ここまで日本人が日本人らしくなくなってきた所以は一体何なのか。

 いま大きな問題として、テロの問題があります。現在の資本主義経済体制も豊かな社会を実現していますが、その反対側では、環境破壊・自然破壊が行われている現象もあります。

 2000年以上前から、色々な宗教・思想が生まれてきます。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、仏教、或いは孔子、老子、天照大神。

 そうした思想宗教が、現代にも反映していますが、歴史の大きな分岐点は、デカルトという哲学者が「我思うが故に我あり」という論を発したことです。(コギト・エルゴ・スム)そこから世界が大きく変わりました。

 皆さんに考えて頂きたいのが自分である「我」、この我とは何なのか。これを解けば、「我が思うことが我である」。「我が思わないことは我ではない」という逆説になります。ちょっとおかしいんじゃないか、と私は考えます。

 思うという我が何なのか。ユングとかフロイトなど天才的な心理学者が居りますが、ユングの研究では我というのは「自我」である。自分の自我が我なのだ。だから、自我の肯定が「我思うがゆえに我あり」であり、ここから世界が変わっていくわけです。

 自我の肯定よりも、もっと、自己の肯定論は無いかと私は研究していったわけですが、私が考えますと、東洋的な仏教、或いは道教、儒教。こういう東洋思想から考えて行くと共通する考え方があります。

 即ち、「我あるがゆえに我思う」。我という実体があるから思えるんだと、こういう解釈が出来るわけです。

 ということは、非常にそれは、自己という存在を根底にして肯定できる。自分が無ければ、主体が無ければ思う事も出来ない。だから、「我あるがゆえに我思う」。もっと丁寧に言えば「我あるがゆえに我思える」。これは、自然と調和を取る考え方なんです。

 前者(我思う、故に我あり)の場合は、自分の自我を肯定します。そこから生まれて行ったのが近代科学です。

 近代科学の論法というのは、二元論ですから、「比較立証」していく。

 

 何かと何かを較べて立証する。それをより細分化して、細かく割って立証していくといくことを繰り返していく。これが永遠無限大に続いていきます。細分化していきますね。それで、全体像を失っていくんです。細かくは見えるが全体が見えなくなっていく、科学の欠点があるわけです。多元化するけれど一元化を破壊してしまう。

 

 それで産まれたのが環境破壊・自然破壊であった。

 

 デカルト以降の科学、ニュートンが木からリンゴが落ちるのを見て万有引力、重力を発見するわけです。重力、力学を彼は作っていく訳です。

 その力学の発見により世界に機械化したマシンを作っていく。これが産業革命ですごく使われていくということです。非常に近代化が進んでいき、物質が豊かになっていく。それからヨーロッパからのアメリカ大陸、アジア圏の侵略、植民地化が始まります。

 そういう中で、近代化あるいは科学技術というものはものすごく進歩している。今日ではロボットまで進化してきました。けれど、我々は、豊かにはなってきたんだけれど、本当に心や、人間として豊かになって来たんだろうかと考えた場合、今どうでしょうか。

 物質の豊かさの一方で、心を置き去りにしたり、心というものが中々働きにくくなってくる。利便性を追いかけるから。二進法ですから、黙っていても自動的にゼロイチ思考で前へ進んでいくんですね。考え方が合理的に。だから思考をする暇がない。思考停止になってる。ほとんどの人が今、パソコンに追われて思考停止になっております,インターネットもそうです。

 それと、もう一つ大事なのが感性の麻痩。感性でものを感じたりそれを想像力によって表現する表現力。こういうものが、誠に今、退化している。学生なんか殆どそうです。私も大学で教えていましたが、自分の自主能力、表現力が無くなってくる。ぺーパーテストや試験の要領だけが良くなって点数だけ取っている。そういう現状があります。

 

 大企業もそうです。非常に収益を上げて、マネーを求めていく、そういうものは拡大するんだけれど、なかなか理念とか、精神性、そういったものを考えない企業が多くなってきた。

 

 これが要するに、2千年経った今でさえ、宗教戦争、イスラム国の間題。2大宗教の分裂が2千年経った現在でも何一つ解決されない。そしてテロが起きてくる。ギャップがあります。

 何故なんだろうと私は考えるわけです。ここまで人類は科学技術を発達させながら、一向にテロの問題、宗教の対立、戦争の間題は解決していかない。

 

 そして、資本主義経済におけるマネーゲーム。そういうものがどんどん進んでいく。このギャップがこのまま進んでいけば限界が来ます。先日、東大の山本先生に哲学や思想について話しをしてくれということで、お話しをさせて頂きました。25年ぐらい経つと世界は環境問題で持たなくなるということを発表されています。

 だから、25年ぐらいが勝負だということが言われる中で、我々人類はモノを超えるターニングポイント、パラダイムシフトの転換が出来るかというのが、世界の今の大きな問題ではないかと私は思うわけです。

 とくに複雑系からカオス化。大体20年ぐらい前から、そのカタストロフ。カタストロフというのは極限値、エントロピーですね。もうある種の人間の近代化から行う経済活動においても、環境破壊においても、そのエントロピーが最大限に強くなって、極限値を迎えて来たのではなかろうか、というのがカタストロフです。

 

 それが約20年ぐらい前からその段階に入っているのではないかと、色々な学者が発表しておりますけれども、よく考えてみれば、私は、どこかで「相転移」が起きているとしか考えられないと思うのです。

 

 日本ではまだ、高度経済成長期の終わりごろに心を求めた時代がありました。8年間ぐらい。だから民放テレビでも心の間題を取り上げ、新興宗教の第4次ブーム、一番そういうものを求めた時代でしたが、オウム事件で終わってしまいました。

 

 あの頃、日本人が異変もなく、平時にもかかわらず、モノから心の豊かさを求めたというのは、やはり、縄文時代からの一つの遺伝子じゃないかと思います。

 

 外国では何か事件が起きないとそういうことはありえない。だから、日本人の素直な心が、モノから心へ変わっていった。しかしバプル崩壊とオウムの事件でほとんどが破壊されてしまいました。

 

 二重らせん構造です。(経済不況による)カネやモノへの不安と(オウム・事件のショックからの宗教・思想の)精神的な不安。それからは分かり易いものが良い。とにかく安全な物がいいと。今そういう時代になってきたわけです。

 

 それまでは心を主体に、モノでバランスを取るという社会性があった。しかし、今度その頃から相転移が起きて、モノが主体となって心は後から追いかけていく、こういう時代に今入っている。

 そこで思い出して頂きたいのが縄文時代です。

 

 縄文時代は、今から1万55O0年ぐらい前の時代です。それが1万2千年ぐらい続いた。これは、世界の4大文明を見ても、こんなに長く平和な時代が続いた時代はありません。誇るべき日本の縄文時代だったと。

 

 縄文思想とは一体何かというと、まだ稲作が入っていないので、採取と狩猟で、自然のままに分かち合って、自然の摂理・法則に会わせて生活の知恵を営んできた。要するに自然に会わせる生き方をしてきたという事が縄文思想です。竪大式住居をみるとこれも円錐形ですから、下は円であって、上は三角に、これも円の思想を象徴している。

 

 縄文人が狩猟で獲物を持って帰ると、家族は円陣を描いて流れ作業で加工する。これも円です。亡くなるとその遺骨はその集落に円を描いて葬っていく、これも円です。

 

 だから、太陽が上がって沈んでいく。この死生観が自然とともに生活する知恵を縄文人は編み出していった。今でいう共生・循環する社会構造を作っていった。

 

 だから、縄文人の営みは太陽を中心とした、自然と共生し、知恵を構築していく。

 

 伝統文化というものは、自然や気候風土に即した文化を極めていくことです。バックボーンが大自然なのです。

 

 そういうものが中々今の時代に、意識はしても実用的な生活として組み込まれなくなってきた。そこへ、もう一度日本が縄文をもう一度見つめて、現代に応用できる縄文社会が出来たら、本当の意味の日本人は復活し、世界のモデルとして誇って世界に発信できるのではないか。

 今のグローバリゼーション、哲学的に言うと単純なことで、グロープ=球=地球。そういうものが語源ですが、ぞれが変わっていって広げていくような、拡大していく意味になっている。

 

 それとイノベーション(開発)。自然を開発すれば自然は壊れてしまう。開発するという事は連続性を絶つということです。古いものはアナログですが、昔はアナログの機械や道具を大事に使っていた。今は新しいもの新しいもの、新奇なものを求め、古いものの大切さを知らなくなっていく。

 

 だからイノベーションは古いものを遮断していくという、こういう原理もあるのです。だから、開発というよりもどこかで調和を取っていく必要がある。我々の日本も世界も、大きな分岐点の時代だと思います。

 そこで、我々の誇る縄文の思想を掘り起こし、もう一度日本人が学んで、日本人の生きるビジョン、大和のこころ。「大和日本」というような、循環する社会構造を作る。そこには本当の平和があるのです。

 平和というものは、西洋では「愛」とか「自由」とか「平和」という代名詞を使うんですが、これを私は「言語の偶像崇拝」と呼んでいます。

 

 西洋人たちは、言葉が先にあります。殆どが言葉の世界です。たとえは「愛している」というのは理想形です。で、平和と自由を訴えますが、これも全部理想形、偶像。

 

 そういいながら彼らは平和を壊していったんですけれども、日本人の場合は、慈しむ心というのが少なからず育っている。

 

 というのは、私は広島に生まれ、奈良に5年間住んだことがあります。「山の辺の道」など、古事記が出てくる舞台です。そこには、本当に神々=自然と一つになった集落があります。そこでの実体験ですが、まず人の心が違う。朝の挨拶は「おはようございます、すいません」と入ってきます。謙虚な挨拶。そういった心です。

 環境によって人の心や思想、生き方まで変わっていくという実例です。

 

 奈良の、大和心のまほろばですね。理想国家を昔の奈良の人達は「まほろば」と呼んだ。その様な我々の心が、モノによって置き去りにされていくという今の時代ですが、モノが豊かになればなるほど、逆に心を使わないと、モノに追いついていかないと思います。

 

 昔の万葉集、要するに万葉心。自然心。日本人の心から、魂から発する言霊の歌。そういうものが大和の国には今もある。そういう日本人の根源たる心、精神を、もう一度取り戻さねばならない。安倍総理が日本をとり戻すと言っていますが、日本人から失われた大和の心、慈しむ心こそ取り戻さねばならない。

 

 日本には、四季があり、四季の調和のとれた国は日本が最高です。その環境の中で培われた日本人がいた。いま都会になればなるほど、自然環境がないからそれが失われていく。経験できない。

 

 私が奈良に住んで思ったのは、四季折々の花が咲くのを見、旬のものを食べる。贅沢はありません。奈良は貧乏な地域でもあります。ただ、家族で四季折々の花を寺や神社にお参りしながら、お弁当を作って花を見て家族で楽しんでいる。こういう文化がいまだに奈良にはあるのです。

 これはやはり日本人の慈しみというか、四季を感じることで、日本人のモノに対する慈しみ、人に対する慈しみ、人に対する麗しい心、そういうものが育って行ったわけです。それを今破壊しつつある。

 

 いま、一番危ういのが日本人の心なんです。だから今日、タイトルに「日本人の心」と付いたのは却ってよかった。

 

 日本人の心を取り戻さないとこの国はどうなっていくのか。心配で止みません。

 

 ロータリークラブの象徴も車輪二輪ですからシンクロしているのです。輪=循環があるところには平和があります。循環が無く直線になった時に戦争を起こすのです。対立をするから。ロータリーの循環も象徴として、この輪を考えて日本人の本当の大和心を呼び起こしで頂きたい、お願いしたいということです。

話・写真:小中 健瀧(無断転載を禁じます)