
【健瀧ゼミナール 045】「明治維新」とはなんてあったのか?歴史に学ぶとは何か?
明治政府に、伝統文化や保守の思想が無くなって行ったのは何故なのか? それは会津の南部藩が、真冬に着の身、着のままで東北の端まで、何千人と追いやられ、殆どの人が寒さと飢えで亡くなっていったことを、われわれ日本人と称する者は忘れていってもいいのか? また明治政府の暴力に正義を持って闘い、亡くなっていった大勢の若者達の日本人を忘れていっていいのか? そして、西郷隆盛の死は何であったのか? それを蔑ろにして日本人とは言えない。それを総括すれば、伊藤博文から安倍晋三までの日本政府と称する化け物が観えてくる。 しかし、明治の中期になると、富国強兵殖産興業に邁進する中で、明治政府が標榜していたはずの天皇制復古の夢が何処に行ってしまったのか? それに気がつく者達が現れて来る。 日本の伝統の良さを見直したり、取り戻そうとする流れが生まれるのである。 それは三宅雪嶺(せつれい)や志賀重昴(しげたか)らであった。 彼らは雑誌「日本人」(後に「日本及日本人」)、徳富蘇峰による雑誌「国民の友」などによって、日本の再建運動が起こって行くのである。 さらに海外から日本を訪れた

【健瀧ゼミナール 046】明治政府の暴略に立ち向かうサムライたち、そして外国に「日本論」「日本人論」を
明治中期になると、次々に「日本人論」が書かれていった。 まず内村鑑三が「代表的日本人」(1894)、新渡戸稲造の「武士道」(1899)、岡倉天心が「茶の本」(1906)であった。 この三人は諸外国に留学などいっており、外国から日本を眺めており、失われていく日本がよく観えたのである。 三人とも英語は堪能で、その三冊すべて英文で書かれた。 三冊の英文で書かれた本は日本から世界に向けて、「日本とはどういう国か?」、「日本人とはどういう民族か?」日本から海外に発信していったのであった. そして今、日本人が住んでいる日本を自覚する為に、また日本人であることを自覚する為に、読まなくてはならない本がある。 その本は、先程紹介した三冊以外には、九鬼周造の「いきの構造」=日本人の美意識と、折口信夫の「死者の書」=ものの霊力(日本の宗教)、河合隼雄の「中空構造日本の深層」=日本人の深層心理、鈴木大拙の「日本的霊性」=日本人の宗教観などである。

【健瀧ゼミナール 044】日本人論
日本人が日本人を言語的に意識をしたのはいつごろでしょうか?
1600年代からだと思います。歴史思想家で幕閣でもあった新井白石や富永仲基らが最初に日本人を意識した知識人だったと思われます。
彼らがなぜ日本人を意識するようになったのか?は、やはり明治維新後の近代化が異常に進んで来た時代社会になって来たからでしょう。
それ以前の幕末の黒船来航から、海外の利強諸国から人も文化も、大挙し押しかけて来たのであった。
それは260年の長きに渡り、世界情勢には無縁に暮らして来た人々は、文化や思想に情報操作され、かつての江戸幕府が古いものに見えて行った。
そうする中に明治政府は1日でも早く欧米並みの近代国家を造らねばならないと、明治政府は優秀な人材を国費で次々と留学に行かせたのであった。
ちょんまげは明治政府に断髪され、長年親しんで来た和服も洋服に変えられ、旧暦も西洋暦に改えていかれ、通貨は円に、医術も美術も音楽も日本古来の伝統を捨て去られ、西洋近代流に発展を遂げようと必死になっていった。
江戸時代までの日本の伝統文化である漢方医術や鍼