
【健瀧ゼミナール 034】 茶こそ 陰陽五行の世界である
茶の道から「華道』が生まれ、この時期には芸能の世界では「能」も生まれるのです。 岡倉天心はこの段階こそが日本においても、中国においても、文明の頂点であり、これを過ぎると、中国では急激な荒廃が起こり、 日本では徳川期の町人文化に見られるように、世俗化が進み低俗化も起こり、精神性が衰えた停滞期に落ち込むと見なすのです。 更にこの頂点期に、メソポタミア、インドから中国おいて発展してしてきた東洋文明の中心は日本に移り、以後日本においてのみ、その文明の精華が継承されていったとするのです。私もまったく、そう思います。 茶にみる陰陽五行(道教)の思想は 、まず陰陽の相対性の認識から始まります。 岡倉天心は、「茶道は姿を変えた道教なのである」と言っています。 日本で、その茶道を禅僧たちは禅寺に取り入れ、茶室とその中で茶をするという光景は、その背景の庭園とその外にある山川との自然風景とも、調和される世界観であります。見事な道教と禅の調和でもあります。 ところで、陰陽五行である道教の思想は、宇宙の根本原理を解き、何事にも規定されないものであります。 天心は老子の言葉

【健瀧ゼミナール 033】 茶は中国で生まれ 日本で完成された
天心は、茶の様式の各段階に時代精神の反映を観る歴史観は、『東洋の理想』において、芸術や諸文化の発展階段をたどったとき、その各段階に時代精神の反映をみる発想を披露していますが、天心の歴史観もそれを引き継いだものと言えます。 こうした歴史観は、大学時代にフェノロサを通じて学んだドイツの哲学者・ヘーゲルの歴史観を土台にしています。 だから、岡倉天心は論法はヘーゲルの弁証法なのです。 要するにテーゼからアンチテーゼを論じ、ジンテーゼを論じる三段論法で弁証するのです。 この弁証法は、あらゆる弁証法の中でも確信する説得に有効な方法なのです。 そして、こうした多発発展段階の内、天心がもっとも評価し、重要視するのは、ここの現実そのものが理想を実現している段階であり、具体的には中国の宋時代で、日本では室町時代であります。 天心はあまり詳しくは触れていませんが、室町時代には日本の文化史における大変な転換期がありました。 この時期に千利休の師匠の村田浄光から兄弟弟子の今井宗久、そして千利休と茶の湯は完成されたのです。 面白いのは、そこから華道が生まれるのです。

【健瀧ゼミナール 032】 茶道は日本で完成された
中国では13世紀にモンゴル族が起こり、それまでに築かれてきた文化が一掃されてしまいます。 その後も15世紀中ごろには難民族の明王期が再興をはかるも、内乱が起こり、17世紀には満州族の侵入により、後期の侵入が始まります。 こうした歴史の中で、風俗や生活習慣も変わり、抹茶も忘れていきました。 茶の道を極め、到達し高い精神性も失われて、再び単なるに単なる日常的な飲料に戻ってしまった。 実は、そこで広まったのは煎茶なのです。 中国で廃れてしまった茶の理想は、日本においてのみ受け継がれて、それに日本独自性の感性が加わり、更に洗練されて今日に至っています。 茶も、老荘思想も、道教も禅もすべて中国で始まったものでありますが、それが統合されて、それに日本の自然崇拝の神道が加わり、 茶の思想が完成されたのが、日本なのであります。 茶の理想の頂点はこの日本の茶の湯にこそ、見出だされたのです。 1281年、モンゴル来襲を見事に阻んだことによって、日本は中国本国では難民族支配によって無惨に断絶してしまった宋の文化を継承したのが日本なのであります。 私達、日本人にとって茶

【健瀧ゼミナール 031】 茶の道はこうして生まれた
茶は芸術と同様、その発展を辿ると、いくつかの時期と流派があります。 発展の順から茶を煮たてる団茶、泡立てる抹茶、浸す煎茶と、三段階に分けることができます。 私たち近代人はその内の最後の段階の煎茶の時代であります。 こうした茶の扱い方の違いは、それぞれの時代の精神的特質の違いを現しています。日々の暮らしぶり、その何気ない仕草に内心の働きは現れます。 あの孔子はいっています。「人は隠したらするものだろうか?」と。 私たちには隠さねばならないような偉大なものなどはないので、些細な事柄にも自分をあらわにしがちになるのだろう。 毎日の暮らしの中の細々とした事も、高尚な哲学詩に劣らず、それぞれの民族の理想がどういうもであるか、語っているのです。 茶の発展における「それぞれの時代の精神的な特質」が、どのようなものであるか? まず、固形の茶を煮立てる団茶は、中国の唐の時代の精神的な特色を現しているといいます。 それまでは漢方の実用的な薬だった茶がこの時代になって、洗練した芸術性を獲得し、茶道の原点が生まれたのです。 その始祖 となるのが、茶神・茶聖といわれる陸羽

【健瀧ゼミナール 030】 五気で解く、理に合ったお茶の煎れ方
今日は織部焼の茶器で、宇治茶の玉露を淹れてみました。 この織部の宝瓶も湯さましも、茶碗も、私は全国の焼きものを土ものにしろ、石ものにしろ、15セットぐらい持っていますが、本当にこんな優れものは他にはありません。 実はこの宝瓶セットは天皇・皇后の両陛下が使っておられます。 その理由は後で述べますが、この前、日本一の玉露づくりの賞を何回も取っておられる、京田辺の手揉み玉露の巨匠である山下寿一氏の甥坊で、玉露だけではなく、他の煎茶や抹茶などの製造から販売までしておらる、またここも数々の日本一の賞を頂いている舞子の茶本舗の社長・田宮正康氏にお会いし、前回の曜変天目茶碗の長江惣吉とインタビュー・対談をしたように、今回も、取材・対談と言うことで、二時間余りも話を聞かせて貰いながら、私が茶の思想をまた、陰陽五行で説くといったような展開に話しました。 先程の話ですが、天皇・皇后の両陛下は数年前に、手揉み玉露の名人の山下芳一氏を訪れ、山下寿一氏の話を聞き、舞子の茶本舗に寄り、田宮正康氏にお会いし、話されておられます。 11月には山下寿一名人と舞子の茶の本舗の田宮正

【健瀧ゼミナール 029】 生の術を説く茶道 その源泉には老荘と禅の思想がある
「美しくも愚かしいこと」に象徴されるように、天心は現世のもろもろの事柄は、つまるところ一抹の夢に過ぎない、むしろ茶のようなもっとも日常的なものの中に真理・悟りがあるのだと考えました。 茶の好みに現れる時代精神は茶の歴史を辿った時、その背景にある老荘思想や道教、禅などの思想も、すべて中国で生まれたものであるが、それらが統合され、茶道として完成されたのは日本である。 これは岡倉天心が茶の本の中で強調している主要な論点の一つである。 こうした茶の発展の歴史が語られるのが、茶の流派である。 古代中国において最初に薬と用いられてきたお茶がどのようにして、嗜好品となり、そして日本に伝わってきたか? 岡倉天心は、茶というものは、団茶、抹茶、煎茶と言う三つの段階をえて発展してきたと述べ 、その段階に、異なる思想や世界観があると説くのである。

【健瀧ゼミナール 028】 茶に学ぶ日本の心
皆さん、お変わりありませんか? 私は相変わらず、あちらこらと、仕事と日本の聖地や文化の探訪をしています。 この度は最初は法隆寺の中に茶室が在ったと言われる待清庵の門の前を通っていると、門の中から「どうぞ」と言う声がかかり、私は誘われるが如くに身を任せ、門の中に入った。 それは、かなり古いおもむきのある茶室である。 当然、私は抹茶を頼むのだが、その前に、もてなしと思われる、ガラスの細いビールグラスのようなものに、冷たい美味しそうな、ほうじ茶が入っていた。 となりの菓子皿には余り変わりものでない、シンプルなお饅頭である。これもまた、美味しそう。 夕方の五時は過ぎて、結構涼しかったので、そんなに汗はかいてはいなかったが、先にお茶の味を聞き、冷たいほうじ茶を飲んだ。 そんなに旨味はなかったが、喉越しがよく美味しかった。お饅頭も次いでに頂いた。これも特別旨みはないが、まあ、それなりの美味しく頂いた。そうすると、抹茶が出てきた。 今回の出張では、日本茶の優秀な玉露茶を産地、京田辺で手揉み玉露を作っておられる、日本一の名人・山下寿一さんを尋ねます。それと宇治に