【健瀧ゼミナール 060】「茶は生の術」茶道として生きる老荘思想道教は「絶対である相対性」と「不完全性の美学」を説く、それが「道」である
岡倉天心は、「茶」は姿を変えた「道教」であるという。 まさにそう言える。 「道」は字義としては通略を意味するが、道教においては宇宙の根本原理である。 それは何事によっても限定されないものという思想である。 天心は老子の言葉を引用し、その概念を次のように語っている。...
【健瀧ゼミナール 059】「茶は生の術」現代を自由に生き抜く知恵「不完全性の美学」
茶と付き合って生きるということは、私の人生にとって実に、理にあった妙味な新鮮さと言えようか? 1日の始まりに、自然な時の流れの中で、朝には朝日が差し、陽気な空間の中で茶事を行うことは、実に新鮮で妙味なひと時を活きる歓喜を感じる。...
【健瀧ゼミナール 058】日本の国家的な宗教とされる『神道』とは何であるか?
「日本書記」に書かれているように、「神道」は奈良時代に初めて使われるようになった。 この背景には、私が講座やセミナーでいつも言っているように、帰化人や外来人が、外来宗教である道教の書物を基礎にして編集をし、創作した神話的物語である。...
【健瀧ゼミナール 057】日本国家の元主とされる宗教の「神道」とは何であるか?
「神道」という語は何処から来てどうつくられたのか? 神道の原初にある、縄文の自然崇拝は別にして、「神道」の語についての由来を思考してみましょう。 「神道」の語は、中国から伝わった外来語と考えられる。 何故ならば、「神道」の意義と思われる文章は、中国の宗教である「道教」の書物...
【健瀧ゼミナール 056】健瀧、風来心旅(水戸編)
先週、水戸黄門様ゆかりの水戸に来て、水戸光圀公後、最近の水戸風情や人々はどう変わって行っているのか、など街を観ながら風来しました。 このスタンスが、私に最も合っているのでしょうか。 「風」という言葉は能の世阿弥も風姿花(華)伝という能の極意書に使っています。...