
【健瀧ゼミナール011】常識のウソ 倭国から日本国へ
倭人は日本人ではない。 大東亜戦争の敗戦後の歴史教育を通じて、倭は日本であり、倭人は日本人であれとする理解は、広く日本国民のなかに、完全に定着をした。 しかし、倭人=「日本人」が文献に現れたのは、「漢書」の地理志「楽浪海中に倭人あり、分かれて百余国をなす」と文であることは、日本史を学んだ高校生なら、誰でも知っていることで、現行の中学の歴史教科書でも、「紀元前1世紀ごろ、倭(日本)に小さな国が沢山あった」と中国の歴史書に書かれていた、と記述されている。 この教科書は、「縄文時代の日本」「弥生時代の日本」と大項目を立て、後者の小項目「ムラから国へ」の中でこの記述をしているのである。 日本だけではない。韓国・朝鮮においても倭は日本と解されている。 「倭奴」は日本を見下したときの表現であり、日本人による挑戦半島の人々に対する暴虐として」倭寇・壬辰倭乱・日帝36年」をあげるのは、今も韓国では常識であろう。

【健瀧ゼミナール 010】人類が背負った宿命
人間社会の壮年時代 人類社会の歴史を人間の一生に例えてみるならば、いまや人間は間違いなく青年期をを超え、壮年時代に入ったといわざるおえないのである。 それは1945年8月6日に、私の故郷である日本列島の広島 に始まったのである。 この日アメリガは空軍のB29に乗せていた原子爆弾によって、一挙に20万人近い人々が殺傷されたのである。そして広島の街は焼け野原になったのである。 その放射能の影響は50年以上の年月を経った今も被爆者におよび続けているのである。 さらに8月9日にこの原子爆弾は長崎に投下された。 まさにこの世の、悲惨な生き地獄をみせられたのである。 それも10万人を及ぶ膨大な人命を失われたのである。 このアメリカによる原爆投下は、ごく短期的には大日本帝国の降状、その敗戦をもたらす決定的な契機となったが、人類が自らを滅ぼしうるだけの巨大な力を、自然の中から開発をしたといういたがう余地のない厳粛な事実を、多大な犠牲を払って結果的な明確にしたという点で、人類の歴史に時期を画することになったのである。 そして実際にこれ以後のたいこくのあいだでの核兵

【健瀧ゼミナール 009】人間中心主義の源流
文明が今や自然破壊をしてしまった。 それは只、単純に自然物を破壊するのではなく、今日、見られるような地球温暖化の問題まで惹き起こしてしまった。 地球温暖化の問題は、人類の存亡にかかる大問題になって来たのである。 いや、人類の起こした大罪である。例えば南極や北極の氷がとければ、計り知れない危機がある。 そう言う計り知れない環境問題が今や起こりつつある。 これをもたらしたのは、マギレモナイ、人間中心主義、理性中心の支配主義である。 このような西洋文明の批判を激しくしたのはマルティン・ハイデッカーというドイツの哲学者である。 私は京都大学の大学院生ごろに、ハイデッカーを研究しました。 ハイデッカーによれば、人間中心の考え方はギリシャで始まっていると言うのです。 例えば、プラトン哲学は理性です。 ヌース(理性 )というものは人間だご持っている、そしてヌースを持っている限り人間は自然を支配する、そういう考え方が、ブラトンによって確立されたのです。 要するに人間中心、理性偏重主義が自然を破壊したのである。 その理性偏重の中心主義がフランスの哲学者デカルトに受

【健瀧ゼミナール 008】資本主義社会が崩壊する時
西洋の近代哲学は、人類の歴史は、どんどん進んで行くという進歩の前提に持っています。 それは中世の歴史の歴史は地上の国から神の国への歴史であるという、直線的に進む歴史感から出ています。 神の国は無くなると地上の国はどんどん発展して行きます。 こうした進歩史観をずっと近代人、特に近代の日本を信じてきました。 この進歩史観には二つの種類があります。 一つは資本主義社会で資本主義のままに発展するという考えです。 もう一つは資本主義は社会主義になって発展して行くという考えです。 戦後、日本人はどちらかの進歩主義をかんがえてきました。 そして社会主義社会が崩壊した時に、今度は資本主義社会が崩壊する時が現在、来ているように思えます。 今は進歩という世界観は危ないのです。そういう風に一直線に進んで行くと、やがては先に奈落の底が待っています。 この文明を継続させるには、進歩ではなくて、私がかつてからずっと言ってきましたように、円環・循環といった思想しかないのです。

【健瀧ゼミナール 007】「ひきこもり」と「自己愛」
うわべだけの付き合いを繰り返す若者たちがいる一方で、近年、「ひきこもり」の若者たちも増えている。ひきこもりにはそれぞれの原因があるでしょう。 多くの場合、耐え難いような体験をして、その為に外に出られないというという人が多いのでしょう。 だから、ひきこもっている人に対して、何が何でもそとにでろというつもりはありません。 しかし、ひきこもりることによって、失われるものも多いのは確かである。 すべての引きものりの原因が、愛と関係しているのではないか? 自分の部屋に閉じこもって外部との接触を避ける行為は 当然ながら恋愛の拒否につながる。 「恋愛の拒否 をしているわけじゃない。したいけど出来ないんだ」という人もいるが、結局、彼らは自分が傷つくことが怖いのである。 傷つくぐらいなら、恋愛などしない方がマシであると、他社とは関わらない方がマシだと思ってしまっているようである。 その傷つくのが怖いというのは、逆に言えば自分が一番可愛い、一番大切」ということであるから、それは一種のナルシシズム(自己愛)と言えるのてある。 つまり、このナルシシズム(自己愛)が段々と

【健瀧ゼミナール 006】 本当の愛が解らない時代
一見、幸せそうな若者カップルや中年層のカップルの姿が、街にあふれる昨今である。 日本人たちは自由恋愛を楽しんでいるようにも感じられる。 特にクリスマス・イヴやバレンタイン・デーには、おしゃれなレストランやホテルは何処でも混んでいるようである。 まさに、時代とともに男女交際のハードルは段々と下がり、男女が知り合う機会も格段に増えてきました。 また婚前交渉や同棲も、今やあたりまえになり、「男女七歳にして席を同じゅうせず」などど言われていた過去の日本からすれば、男女交際にまつわる状況は劇的に大変化を遂げている。 しかし、現代の若者たちの中には、数ヶ月、数週間つき合っただけで、別れてしまうカップルが非常に増えていると、専門家たちかは言われている。 彼らは相手が少しでも気に入らないことがあると、それだけですぐに別れてしまう。 二人の関係性に対して示唆しないのである。 果たしてそれが恋愛といえるのであろうか? つき合ったからといって、そこに深い精神的な繋がりがあるわけでもないし、それを求めているようにも観えない。 この何となく気があった二人が出会い、楽しみセ

【健瀧ゼミナール 005】 「かみ」と「ひと」をめぐる構図
八百万の「かみ」を宿す自然界を区別して言えば、天地は「かみがみ」の器であり、住居空間ということになり、かみがみの活動の舞台となり、この舞台に行動するのが動植物だったから、神木や神獣として行動するのが「かみ」としての動植物だったのである。 特に、植物の神が憑依して神木となるという、「もの」性は濃厚に残した食物もあるが、それが神格の付与である点で、一時的な「もの」の憑依とは違うところであった。 こうした垂直型の世界観は大陸的であり、「もの」が水平型で海洋的だったことと対立するこの点を区別の第三点とすることもできるのである。 「かみ」と「ひと」をめぐる構図 そうなると可哀想な「ひと」にも別な力を与えなければならないのである。 恒常的な神格として「かみ」が誕生すると「かみ」の力は「チ」と呼ばれたが、「チ」の力は「ひと」にも根源的にあり、同時に「ひと」には「たま(魂)」をもつ言葉の力が期待されたのである。 ちなみに漢字の神は「たましい」も意味する。 「かみ」の力としての「チ」は、いかづち(雷)・かぐつち(火神)・おろち(大蛇)・みづち(龍)のように、サムシ

【健瀧ゼミナール 004】 「もの」から「かみ」への推移
正月二回目のゼミナールです。 縄文の「もの」から「かみ」への推移が起きる。 「かみ」は憑依するにしろ、固定した格として存在した。 この信仰の中心の推移をサムシング・グレート(大いなる力・霊力)から神格への変化を見ることができる。 「かみ」は存在そのものだから、サムシング・グレート(大いなる力・霊力)を全身に所有し、時間的にも、空間的にも独立したものとして存在を切り離されているのである。独自の神格を存在を保ちつづけなければならないのである。 その為に「かみ」はそれぞれ限定されていて、永続されるべき神威は客観的に証明が必要となるのである。 それは、より具体的であると同時に融通性は乏しいのである。 第二の特性として言えることは、「かみ」という神格を弥生人はたちは森羅万象に与えながら、人間を除外したことである。 要するに、この世界のあらゆるもの、天象・地勢・植物・動物のすべての状態や動作にかみを感じると、そのものをかみとして存在させたにもかかわらず、「かみ」は「ひと」との対立概念であり、ついに「ひと」は「かみ」ではなかったのである。 天には八百万の天津神

【健瀧ゼミナール 002】 現代の日本人にとっての「愛するということ」
新春ゼミナールから、小中健瀧がエーリッヒ・フロムの「愛するということ」に迫るトークが始まります。 現代の日本人に愛というものをどのように、捉えられているだろうか? それは生きた時代の世代感も違おうし、多少の違いはあろうが、現代に愛いうものに、どれだけの人が純粋に向き合って真剣に考えているのだろうか? 愛は学校や本でわざわざ学ぶものではなく、自然に経験するものと考えるのが一般的ですが、何故、フロムは、愛とは能動的に学ぶべきものであると考えるに至ったのであろうか? それは彼が愛が失われつつある現代の社会状況に危険感を抱いていたからであろう。 フロムの「愛するということ」の本が書かれたころのアメリカは、すでに資本主義社会が複雑化、巨大化し、人間の経済を動かす単なる歯車のような存在になってしまいました。 そうした社会を生きる中で、人々は「愛の本質」を見失い、間違った愛を「本当の愛」と勘違いするようになってきた。 フロムそう思えたのであろう。 こうした「愛の本質が見えにくい社会」が到来したのが、まさに現在の日本である。 今の日本も当時のアメリカとまったく、