
【健瀧ゼミナール 061】閉ざされた神々・真実(ほんとう)の神は何処に?
縄文人が、大宇宙や自然界を大いなる霊性として崇拝していた縄文時代であったのに、その後、岩座や岩屋に神が宿る、或いは降る、という思想があり、7世紀頃から何故か「社」という建物を立て、その中に神を閉ざして「御神体」と称し、「神」を祀ったのは何故であろうか? それが後には、権力者による支配的神道や神格化、神道的一神教をつくっていく潮流となるのである。 また「神社」という建物は、大いなる霊性の世界を遮った、人為的な一つの空間である。 それは、神と称する大宇宙や自然界から分離させ、「社」という別の空間をつくったことになる。 その「社」と称する空間である「神社」の中に、朝鮮半島の神と称するもの、中国の道教的な神、日本国を統治する為に権力者たちに創作され、古事記・日本書記に載せるために偽装された神々、天皇、祟る権威のある豪族の首長、豪族の祖先、天下人、天才と称される人物を祀るように変貌していく。 まさに神を祀る社という、「閉ざされた神社」は、祀るもののブラックボックスと化したのであった。 そもそも日本の原点と言うべき縄文時代は、自然・万物を神とし、その軸に太陽