
【健瀧ゼミナール 017】出雲大社の真実
今日は真面目に出雲大社について、話しをしましょう。 「大国主大神」は出雲の神とされていますが、この神名は古事記に書かれている、天之御中主神や天照大神という、神名が創作された時、古来のオオ(ア)ナムチ(オオ=弥、ナ=国・大地、ムチ=尊称)という神名を、もとに机上でつくられたものです。 「出雲国風土記 」には「大国主」という名はまったくみられないし、『万葉集』にも載っていない。 「大国主」を物語の中にまで、登場させているのは、『古事記』だけです。 その三十~五十年後に編纂された『日本書紀』も、本文には「大国主」の名は一つも出てこない。 一書の一に、スサノヲ尊の五世の孫として「大国主」とあり、一書の六に、大国主神は大物主神・国作大己貴命(『日本書紀』には大国玉神・顕(うつし)国玉神の亦(また)の名とある。) このような事例からみると、中央でも「大国主」は一部の識者にだけ知られていた。公式的な観念的神名では一般化しなかったのでしょう。 「延喜式」神名帖でも、「大国魂」を含む名は多いが「大国主」を含む名はない。 十世紀になっても「大国主」の神名は一般化して

【健瀧ゼミナール 016】神道研究の旅
今日のゼミはダイナミックな螺旋について、話してみましょう。 考えてみれば実に不思議なことである。我々は今、不思議な時代に生きている。いや、生かされている。 世界の文化のすべてが、過去のものであれ、現在のものであれ、歴史的な記録が生きた実態として、ある程度まで入手可能な情報の時代である。 そして地球という惑星の歴史において、かつてこんなことが、起きたことは無かったであろう。 この惑星に生まれ、存在している人間にとって、数千年前から最近まではそれは想像までも、難しいことであっただろう。ある個人は、他の文化については、まったく何も知らない文化の中に生まれたのである。 例えば、中国人として生まれ、中国人として育ち、中国人として結婚し、中国の文化に従い、大抵の一生のすべてを何世紀も前に住み着いた土地のひと隅の同じ小屋で暮らしたのである。 孤立した部族や氏族から、小さな農村、あるいは古代国家、闘争しあっている封建的な帝国、それから国際的に連合している国家、そして全世界的村へ、統合的な村へと向かう、ある種この並外れた現象は人類の運命のように思えるのである。 こ

【健瀧ゼミナール 015】出雲の国から
もしあなたが、
自然や環境の破壊、世界の隔った貧困、民族・宗教紛争、
テクノロジーの暴走、グローバリゼーションの不条理、
並べれば果てしない時代の危機から目をそらさず、 「これは何故なのか」
「いったいどうすればいいのか」 といった深い不安をともなった、疑問を抱いているなら、
是非、私の話や書くことを紐解いて頂きたい。 また、この世界を物質の集まりに過ぎないと考えるならば、 人間が生きる意味も人類が存在する意義も見出すことは難しい。 しかし、人間の生命も心の働きも、
実は、大自然の一部や大宇宙そのものの一部である。 命や心を含む、真の宇宙の構造と時間に、
人間の歴史を重ね合わせてみれば、 そのとき初めて、我々は
自分の存在する意味を見出だすことができる。 そうして初めて我々は、
真に希望ある未来への展望の扉を開くことができるのであろう。