
【健瀧ゼミナール 053】日本巡礼と日本の心旅「伝統文化と人情が通う町」
昨日は奈良県五條で、噂に聞いた伝統文化と心の町に行きました。 そしてある焼きそばのお店で、本当に話に聞いたようにスーパーシンクロがいつものように起きます。
もうスーパーシンクロの言葉は軽すぎるように聞こえます。これは言霊と呼んだ方が日本の気候風土や文化にあっていますね。
そのお店の帰りに年配の女将さんが、「五条は自然ばかりで里山の竹やぶから取って来たばかりの竹の子を、良かったら持って帰りませんか」と、遠慮気味に情感が漂う優しいお声私に語られ、
私は「本当によろしいですか」と、言葉を返せば、
女将さんは「どうぞ、どうぞ」と言われ、厨房に行かれ竹の子を綺麗なナイロン袋に入れられ、その袋の下に大型のドライアイスを下に敷き、それが入るぐらいの少し大きめのナイロン袋にいれ、また丁寧にナイロン袋をくくられて渡されました。
そのしぐさはまさに気取りもなく、優しくおも手なされました。
私は只々この言霊現象と、噂に聞いた五条の心の文化は本当に健在と、女将さんのお心を尊き感じる次第であります。
帰りの挨拶に、「お元気で」と只言うばかりでし

【健瀧ゼミナール 052】日本とは何であるのか
卑弥呼も謎ですが、後にその詳細は書きますが、つまり大和姫です。
卑弥呼亡き後に、娘の台与(とよ)が十三歳で継いだと、三国志の魏志倭人伝中国・後漢末期180年頃~280年頃)に書かれているが、詳しいことは書かれていない。
魏志倭人伝は当時に東夷らの中国人が漢字で、当時の日本列島を倭国と呼び、そこに住む人を倭人と呼び書いたのです。
当然の日本は中国文化は渡来していたにせよ、漢字を使う文化は無かったと考えられており、日本という名称もなく、国家や制度もはっきりしていない。
そしてその頃は、古代豪族の乱世であったと、考古学や歴史学の専門家達の統一見解のように、その時代に女王卑弥呼がその乱世を統治したわけだから、それは我々の現代の日本人には想像はおよびもつかないはずです。
さてイントロはそのぐらいにして、本題に入りますが、日本の源流を辿っていけば、そこには日本人の原種である縄文人に必ず辿り着きます。
それから弥生人はどこから来たのか?
弥生人とは一体何なのか?
そして天皇はどこから生まれたのか?
その正体とは?
ということに

【健瀧ゼミナール 051】「住まう家」について
私の「住まい」と「家」の造るという考え方は、いかにその地理や地形やその場のエレメント(元素)に調和されるか、ある種の器であるミクロコスモス(小宇宙)が、人が、或いは家族が住む家です。 また人間が生命として誕生する母親の子宮の器のようなマクロコスモス(大宇宙)です。 その元型なくしては、人間の命は生きていくことが出来ません。また、成長もしていきません。 従って、この宇宙・自然の根本原理に基づき、一つの器である世界に、人が「住まう家」という概念が重要なのです。 「住まう家」とは生きていくことが目的で、その為に「住む」ということは必要になるのです。 そして住むには「家」が必要となってきます。 だから、住まいなくして家は成り立ちません。家なくしては住まいも成り立ちません。 要するに、「住まう家」は、住むという事と家ということの両性具有なのです。

【健瀧ゼミナール 050】教育勅語とは何だったか
東洋思想家である、小中健瀧は断固として抗議をします。 そもそも、教育勅語たるものは明治政府政府が明治23年10月に当時の総理大臣であった、元・長州の山縣有朋が井上毅に原案を考えさせ、元田永孚にと二人に書かせた、短絡的な理念文である。 当時の藤原氏系統の道教集団の秀才の太安万侶に書かせた、日本統治の創作バイブルであった古事記の物語をも出して、またもや日本国民を統治する為の長州の残党である総理・安倍晋三が仕掛けた陰謀策である。 教育勅語は道教の老荘思想に朱子学と陽明学を付け足した、張りぼてのお粗末な思想理念文である。 教育勅語は明治政府が天皇を利用した、道教の天子思想を導入し、国家神道国家をつくる陰謀策のバイブルであった。 論より証拠、その詳細を、東洋思想の専門家である小中健瀧が解き明かします。

【健瀧ゼミナール 049】今日は「愛」というゼミナール
(これは、私が渾身を込めて書きました。是非読んで下さい。)
もう仮面を脱ぎなさい、そして共依存やペルソナから脱しよう本当のあなたの為に。 何といっても今、日本の社会では、自我を前提に成功サクセスを目的にしますが、それが証拠に、言ってることとやってることの自己矛盾の明らかな格差を心理的につくっているのです。 それは自分のコンプレックスの反動で生じた自我をベースに、願望という都合のいい言葉でフィクションをつくっていくのです。 それが異常化したのがカルトです。 只、意気投合すれば、共依存をしてしまいます。要するに幼稚な依存関係をつくっていきます。 この原理を使い、人がひとを情報操作して儲けるという、現在、日本の一般社会でのビジネスになっています。 人を情報操作するテクニックばかりを研究し、如何に利益を生み出していくかの過当競争が日本経済の主流です。 そこには真実ほど厄介なものは無いと偽満と偽装の生産競争をしていのが現在日本の実態であります。 その代表的なのがマスメディアで、テレビは特に次から次へと芸の無い芸能人を使かい、短絡的な受けを狙った視聴者を

【健瀧ゼミナール 048】奈良に魅せられて四季に生きる尊き人達
東大寺二月堂のお水取りも、もうすっかり終わり、暦では明日の四月四日から、清明の気を迎えることになりました。 いよいよ春らしい暖かな日和が来ることでしょう。 奈良と言えば懐かしいですが、今から12年前から五年間住んでいました。私は奈良に住んでいた頃に人生で、初めて学んだ尊きことがありました。 今から考えてみれば、 その頃の生き方は、まさに奈良の「まほろば」でしたね。
その学んだことは全く、この大都会の泡立たしさしい東京の逆説的な世界でした。 朝、日の出と共に起きて、顔を洗い外に出て見れば、あの古事記に出てくる幻想的な光景があるのです。それから近くにある本当の自然崇拝する神社のおつとめに参加します。 それが私の一日の始まりでした。そして私が早朝散歩を一時間から二時間します。 散歩をしていると都会ではあり得ないことが時々、起きるのです。 小中先生、茶粥でも召し上がられていきませんか?と声が掛かるのです。それも一軒だけではないのですよ。何軒も。特に私の住んでる集落はそうでしたね。もちろん、お年寄りさんの方ば

【健瀧ゼミナール 047】この時代に何を信じて生きればいいのだろう?
今、何が格差社会なのか? いつも不幸な時代には立場の弱い人達が犠牲になる。それは明らかに、子供と老人や、心が弱く、また心の優しい人達である。 この偽善と艤装社会が進む中で、自殺者が増えています。また、親子の関係がおかしくなっていっています。 ストレスが溜まり、仮面を被りまた仮面を被らなければ生きていけない社会になって来ました。この時代に何が大事なのか? それもかんじることが出来ない、それを思考することも出来ない人が異常に増えています。 この困惑で混迷なるぎ偽善と偽造社会に、われわれは何を考え、何をしていけばいいのだろう。 これから社会に生きて行く小さな胸の子供達の為に、私は「今を生きる為の12才からの哲学」4月から、インターネットで連載する決意をしました。 話を変えますが、犬山に来ていますけれど、街を歩いてもでんに乗っても、今まで私が行った場所では、マナーも精神性も最低です。 いや、こんな日本人の集合都市があるのかと未来をシュミレーションすれば、ぞっとします。ここまで私が思うのも久しぶりです。 本当に日本の政府は大事なことは何も観ない、またここの