【健瀧ゼミナール 064】コロナ歳時記
コロナウイルスの「コロナ」の語源は、やはり太陽の花の象徴ですね。 これは実に、ダイナミックで素敵な象徴的な名称である。 このコロナの名称は、現代の人類の未来にとって、何のメッセージを告げているのであろうか? これまで、2000年に続くキリスト教やイスラム教の宗教戦争の対...
【健瀧ゼミナール063】「和と環の日本」
この「和と環の日本」という題名を、何故つけたかと言いますと、日本の今の時代は宗教界も政界も財界も教育界も、工業や農業の産業界も芸術や芸能界もメディア界など、日本の文化が全てと言っていいぐらい、カオスからカタストロフ化し、甚だしく衰退の一途を辿り、かつての日本の歴史に無いぐら...
【健瀧ゼミナール 062】『御茶を淹れるということ』(陰陽五行流・煎茶術「茶は生の術」)
まずは、湯冷ましの中に湯を入れ、その中の湯を宝瓶の中に入れる。 そして宝瓶の中の湯を煎茶茶碗に入れる。 次に、煎茶茶碗の湯を湯冷ましに返す。 この行為が茶葉を宝瓶に入れる前の作法であります。 この作法は茶葉を入れる前の、湯による茶器への禊の儀礼(清めの作法)であり、茶器...
【健瀧ゼミナール 061】閉ざされた神々・真実(ほんとう)の神は何処に?
縄文人が、大宇宙や自然界を大いなる霊性として崇拝していた縄文時代であったのに、その後、岩座や岩屋に神が宿る、或いは降る、という思想があり、7世紀頃から何故か「社」という建物を立て、その中に神を閉ざして「御神体」と称し、「神」を祀ったのは何故であろうか?...
【健瀧ゼミナール 060】「茶は生の術」茶道として生きる老荘思想道教は「絶対である相対性」と「不完全性の美学」を説く、それが「道」である
岡倉天心は、「茶」は姿を変えた「道教」であるという。 まさにそう言える。 「道」は字義としては通略を意味するが、道教においては宇宙の根本原理である。 それは何事によっても限定されないものという思想である。 天心は老子の言葉を引用し、その概念を次のように語っている。...
【健瀧ゼミナール 059】「茶は生の術」現代を自由に生き抜く知恵「不完全性の美学」
茶と付き合って生きるということは、私の人生にとって実に、理にあった妙味な新鮮さと言えようか? 1日の始まりに、自然な時の流れの中で、朝には朝日が差し、陽気な空間の中で茶事を行うことは、実に新鮮で妙味なひと時を活きる歓喜を感じる。...
【健瀧ゼミナール 058】日本の国家的な宗教とされる『神道』とは何であるか?
「日本書記」に書かれているように、「神道」は奈良時代に初めて使われるようになった。 この背景には、私が講座やセミナーでいつも言っているように、帰化人や外来人が、外来宗教である道教の書物を基礎にして編集をし、創作した神話的物語である。...
【健瀧ゼミナール 057】日本国家の元主とされる宗教の「神道」とは何であるか?
「神道」という語は何処から来てどうつくられたのか? 神道の原初にある、縄文の自然崇拝は別にして、「神道」の語についての由来を思考してみましょう。 「神道」の語は、中国から伝わった外来語と考えられる。 何故ならば、「神道」の意義と思われる文章は、中国の宗教である「道教」の書物...
【健瀧ゼミナール 056】健瀧、風来心旅(水戸編)
先週、水戸黄門様ゆかりの水戸に来て、水戸光圀公後、最近の水戸風情や人々はどう変わって行っているのか、など街を観ながら風来しました。 このスタンスが、私に最も合っているのでしょうか。 「風」という言葉は能の世阿弥も風姿花(華)伝という能の極意書に使っています。...
【健瀧ゼミナール 055】「人為は虚しい」と荘子はいう「現代は権力と金の偽装時代である」と小中健瀧はいう
私は世界の総括論をよく、以下の様に説明する。 ユダヤ教(BC13世紀)二大分裂キリスト教・イスラム教)から、ギリシャ神話期のBC8世紀以前から哲学の代名詞であるギリシャ哲学の第1期イオニア哲学派といわれるターレス(BC6世紀)の自然への根源性を追求した哲学が起こる。 ...