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【健瀧ゼミナール 059】「茶は生の術」現代を自由に生き抜く知恵「不完全性の美学」


茶と付き合って生きるということは、私の人生にとって実に、理にあった妙味な新鮮さと言えようか?

1日の始まりに、自然な時の流れの中で、朝には朝日が差し、陽気な空間の中で茶事を行うことは、実に新鮮で妙味なひと時を活きる歓喜を感じる。

朝日が照る中に、自分の身体も心も陽気が差してくる、それは実に身体も心も暖まる。

その自然の行為に私は只感動をし、幸せを感じる。 まさに生かされている喜びや幸せを感じる。 そう身も心も感じながら、茶事に入る。

思い出せば、岡倉天心は茶事を行うことを「茶は性の術」と捉え、その中に一つは道教の思想を観ている。

道教の思想と言えば、虚・負の美学である。

言うならば不完全の美学がある。この世界には完全ないし完成というものは有り得ない。

逆に、不完全であり未完成によって、その先に完全なり完成に向かって、無限の可能性が開かれる。 言うならば、虚・負であることによって、そこには無限の可能性が包含されているということである。

ある意味で、人生という劇は誰もが調和を心がけるなら、皆が自分の個性に華を咲かせ、皆互いに活かし合う歓喜な世界になるであろう。

また個人というものを考える場合には、人と人の関係性や役割、自分の位置といったものの全体を見逃さないようにしなければならない。

このことを老子は「虚」という言葉を用いて説いている。

真に本質的なものは虚の内にしかないというのである。 例えば部屋という実質は、屋根や壁それ自体ではなく、屋根や壁に囲まれた空間である。 また水差しが役に立つのは、その形や特質によるものではなく、水を容れる空っぽの空間にによるものである。

虚はすべてを容れるが故に万能であり、虚にのみ運動が可能になる。

その極意は、自分を空っぽにして、自由に他人が出入りできることを心得た者は、どんな状況でも自由にコントロールすることが、できるようになるであろう。

全体は個を成し、個は全体を成しているのである。


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