【健瀧ゼミナール 019】 哲学をするとは?
哲学の根本問題は、「在るということを問うこと」にある。ロジックでいえば、「存在とは何か?」である。
つまり、「在りとしあらゆるもの(在るとされるあらゆるもの、存在するものの全体)が何であり、どういう在り方をしているのか」を問うことである。
果たして、その問題がどのように語られてきたか、考えてみよう。
プラトンの頃のギリシャのアテナには「ソフィスト」という一群の人々がいた。
識や知恵を意味する「ソフィア」と同根の言葉で、知識人や学者を指すが、当時のアテナでは高い月謝を取って金持ちの子弟に詭弁術などを教える一群の人々ががそう名乗っていた。
その教育現場では、どのようなことが問題になっているかを記した対話篇「ソフィストテース」でプラトンはこう言っている。
「・・・・・というのも〈存在する〉という言葉をつかうことで自分でいったい何を言おうとしているのかを、君たちならばずっと前から、よく知っているに違いないのだが、我々の方では、一頃でこそ、それが解っているつもりだったのに、、今では途方に暮れている在りさまなのだから・・・」
やさしく言いかえると、自分たち哲学者にとっては、〈存在する〉ということばをどう考えたらよいのか、途方に暮れるほど解らない、という意味になるのでしょうか。つづく・・・・・