【健瀧ゼミナール 018】 卑弥呼と縄文
「卑弥呼」も「倭姫」も「天照大神」も同一人物としか考えようがないという見解に至りました。
その時代は、豪族たちの戦いとして乱世が続いていた。
古代豪族とは、大和政権が磐石になるまで、独自の軍事力・経済力で一定の地域を支配していた勢力をいう。
要するに地域政権である彼らは漢書、地理志、後漢書、東夷伝、魏志倭人伝、などの古代中国の書物を読むことで解る。これらの書には古代豪族の支配権を儲けて戦いを繰り返していたのである。
それが、不思議に倭国の連合により、いったんは収束する。邪馬台国の女王・卑弥呼の登場である。
魏志倭人伝に「卑弥呼は鬼を操り、大衆を惑わす」とある。
これは有名な言葉ではあるが、この下りを解釈するのに、歴史学者や専門家たちはその真意を解明することができない。それこそ、惑わすのである。
私は東洋思想の道教研究を専門家であるから、さほど難しいことはない。
鬼道をまともに考えれば、道教的な言葉である。道教では鬼を神と解く説と人が亡くなると、霊気が漂い鬼になるという説がある。
となると、それは道教が伝来していて、卑弥呼が使ったいたのだと、考えるのが妥当であるが、そうとも言えない。
その考えは、よく観念的な学者が失敗するパターンである。あくまでも当時の倭国の社会情勢を魏人や渡来人が観た視点に過ぎない。
彼らは鬼道と断定したが、本当は倭国古来からの呪術を彼らの価値観で鬼道と呼んだということも十分に考えられる。
この卑弥呼の文字も、魏人や渡来人が付けた名前だからである。
その時代は当然、漢字は、まだ倭国では使われてはいなかったからである。そのことの真相は後に詳しく述べることにしよう。
何れにしろ、卑弥呼は呪術を使い、宗教的に穏やかに、豪族の乱世を納め、それは世俗王権による統一的な支配ではなく、地域政権としての独自性を認め、活かした連合に納めたので、豪族たちも納得をして、剣や矛を収めたのである。
時は188年のことであった。この平和的な宗教的連合が266年まで続いたのであった。
これを考えると、私はあの縄文時代が自然崇拝のもとに文化的にも豊かで、争いをしない平和が一万二千年以上続いたことを考えずにはいられないのである。
そこには何か共通的なものがあったのではなかろうかと。また現在の乱世が彷彿するのである。
だから、その縄文や卑弥呼に、この乱世を納める方法があるはずと私は考えるのである。(続く・・・)