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【健瀧ゼミナール 017】出雲大社の真実


今日は真面目に出雲大社について、話しをしましょう。

「大国主大神」は出雲の神とされていますが、この神名は古事記に書かれている、天之御中主神や天照大神という、神名が創作された時、古来のオオ(ア)ナムチ(オオ=弥、ナ=国・大地、ムチ=尊称)という神名を、もとに机上でつくられたものです。

「出雲国風土記 」には「大国主」という名はまったくみられないし、『万葉集』にも載っていない。

「大国主」を物語の中にまで、登場させているのは、『古事記』だけです。

その三十~五十年後に編纂された『日本書紀』も、本文には「大国主」の名は一つも出てこない。

一書の一に、スサノヲ尊の五世の孫として「大国主」とあり、一書の六に、大国主神は大物主神・国作大己貴命(『日本書紀』には大国玉神・顕(うつし)国玉神の亦(また)の名とある。)

このような事例からみると、中央でも「大国主」は一部の識者にだけ知られていた。公式的な観念的神名では一般化しなかったのでしょう。

「延喜式」神名帖でも、「大国魂」を含む名は多いが「大国主」を含む名はない。

十世紀になっても「大国主」の神名は一般化していなかったと十分に考えられます。

『古事記』は「大国主」という神名を重視して使っていますが、その理由は、天地初めて発(おこ)りし時に、高天の原に成りませる神の名は、天之御中主神と、本文の冒頭に「天之御中主神」という観念的な論理のもとに神を登場させています。

ここで、皆さんも何か変だなぁと気づいて頂きたい。

また、「天」と「地(国)」という二つの観念を設定し、「天」の神の代表を天の真中「天之御中主神」とし、「地」の神の代表として「大国主神」という神名をつくったのです。

大国主神については、「大国を領するものの意」とする説や、「多くの国主を統べ合わせた神の意」とする説がありますが、国つ神の代表であることを示すために大をつけたのです。西宮一民は「偉大な国土の主人の意」と観ています。

そして、支那・中国の渡来人である藤原氏や、古事記を創作した渡来人の太安万侶が考えたことは如実に明らかです。

見え見えにお粗末で、面白いのは、例えば天之御中主神は、典型的な道教思想の天の中心にした「太一」「太極」「大素」の意味を観念的に神名を付け、国の代表神(国土)対応する天の代表神だから、大国主神は登場させないのです。

また『万葉集』や『風土記』には天之御中主神も登場しないのです。

『日本書紀』本文も大国主神も搾取的に記さないから、天之御中主神も記せないのです。

つまり、「大国主神」は高天原に対する葦原中国の代表神として、つまり「天之御中主神」のペア(対)として搾取による観念的につくられた神名です。

そのことは、「高天原」「葦原中国」という名称も観念的なものであることから、裏づけられるのです。

『古事記』はその前提や成り立ちも何にもない。

また『古事記』には自然崇拝のコスモロジー(宇宙観)や自然の象徴的なアイデンティティーがありません。

従って、『古事記』は渡来人とその当時の日本的な頂点の権力者が組んでつくった都合の良い、統治するバイブルなのです。

まさに恐るべき渡来人と大和族と時の天皇の陰謀であったのです。


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