【健瀧ゼミナール 048】奈良に魅せられて四季に生きる尊き人達


東大寺二月堂のお水取りも、もうすっかり終わり、暦では明日の四月四日から、清明の気を迎えることになりました。

いよいよ春らしい暖かな日和が来ることでしょう。

奈良と言えば懐かしいですが、今から12年前から五年間住んでいました。私は奈良に住んでいた頃に人生で、初めて学んだ尊きことがありました。

今から考えてみれば、 その頃の生き方は、まさに奈良の「まほろば」でしたね。 その学んだことは全く、この大都会の泡立たしさしい東京の逆説的な世界でした。

朝、日の出と共に起きて、顔を洗い外に出て見れば、あの古事記に出てくる幻想的な光景があるのです。それから近くにある本当の自然崇拝する神社のおつとめに参加します。

それが私の一日の始まりでした。そして私が早朝散歩を一時間から二時間します。

散歩をしていると都会ではあり得ないことが時々、起きるのです。

小中先生、茶粥でも召し上がられていきませんか?と声が掛かるのです。それも一軒だけではないのですよ。何軒も。特に私の住んでる集落はそうでしたね。もちろん、お年寄りさんの方ばかりですがね。

それにしても広島でもあり得ない、この現代に情の文化がこの辺りには、まだ残っていることに、私は奇跡を感じていました。

皆さんもご存知かも知れませんが、奈良と言えば朝食は茶粥から始まります。それは都会の皆さんはには想像もつかないでしょう。

しかし、申し訳ありませんが茶を入れてに粥して炊きますから茶は、余り美味しいとは言えませんが、お粥として食べれば何とか独特の渋みのある味で食べられますね。(

当時の頂きました方々に、どうもすみません。)

茶粥を頂きますと、しかも早朝の清々しい朝食の後には、必ず飛鳥から奈良の歴史や陰陽五行風水の話をさせてもらうと、それはそれはお爺ちゃんとお婆ちゃんは喜ばれます。

また皆さんと短歌の一つも詠えば、楽しい至福なひと時です。

そのようなまほろばで、私は暮らしていたのですす。

その頃、私は広島にいる頃は本当に贅沢していた事と不自然な社会であることが、実感を持って観えてきました。

奈良は地場産業は少なく、殆どが農家で質素な生活をしていました。また地主は大土地を持ち大金持ちで、かなりの格差がありましたね。

そこら集落の人達は、本当に質素で、贅沢は一切しませんね。

明治維新から第二次世界大戦の近代西洋カオス化する日本では、まさに稀な地域で住む人達には、日本の伝統文化の情と美意識があり、現代の分裂家系では無く、当然三世代家族が当たり前で、和み暮らしています。

休日は都会では、街に遊びや買い物に行きます。また郊外にレジャーに行きます。

しかしそこは、まさに別世界でした。

そこでの休日はお隣り家も、また反対のお隣りも、町中の家族が四季折々の花を見に、手作りお弁当を姑と嫁で睦まじく、こしらえて三世代家族全員で、奈良は古都から社寺には恵まれているとはい言え、四季折々の花見に、手作り愛情弁当を持参で社寺に家族で観にいくのです。

桜の花見だけでは無く、自然と共に楽しみに、社寺で四季折々の花を慈しみ、家族団欒の宴を楽しむのです。

この光景は、やはり万葉の里だからなのでしょうか?

私もその頃は、あちらやこちらのご家族に誘って頂き、四季折々に慈しむ心と人の情に魅了されたのです。


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