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【健瀧ゼミナール 032】 茶道は日本で完成された


中国では13世紀にモンゴル族が起こり、それまでに築かれてきた文化が一掃されてしまいます。

その後も15世紀中ごろには難民族の明王期が再興をはかるも、内乱が起こり、17世紀には満州族の侵入により、後期の侵入が始まります。

こうした歴史の中で、風俗や生活習慣も変わり、抹茶も忘れていきました。

茶の道を極め、到達し高い精神性も失われて、再び単なるに単なる日常的な飲料に戻ってしまった。

実は、そこで広まったのは煎茶なのです。

中国で廃れてしまった茶の理想は、日本においてのみ受け継がれて、それに日本独自性の感性が加わり、更に洗練されて今日に至っています。

茶も、老荘思想も、道教も禅もすべて中国で始まったものでありますが、それが統合されて、それに日本の自然崇拝の神道が加わり、 茶の思想が完成されたのが、日本なのであります。

茶の理想の頂点はこの日本の茶の湯にこそ、見出だされたのです。

1281年、モンゴル来襲を見事に阻んだことによって、日本は中国本国では難民族支配によって無惨に断絶してしまった宋の文化を継承したのが日本なのであります。

私達、日本人にとって茶道は、単に茶の飲み方の極意というだけのものではないのです。

それはもはや、生きる術を授ける宗教なのです。

茶という飲み物が昇華されて、純粋と洗練に対する崇拝の心が具現化する、目に見える形式となったのであり、その機会に応じて主人と客が集い、この世の至福を共に創り出すという神聖な役割を果たすことにあるのです。


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