【健瀧ゼミナール 021】 伝家の宝刀


つまり、哲学は、人間を中心にあらゆるものの存在を説明しようとするものですが、その論理の大前提にはデカルトのいう、「我れ思うが故に、我れあり」ということで、自我を肯定するもので、自己の存在や自己を肯定することはないのであります。

これが哲学の致命傷であります。

私はこのデカルトの論法、コギト・エルゴスム「我れ 思うが故に、我れあり」を数年前に、人間の元型から普遍性に至る、自己を肯定する縄文や東洋思想の根本原理である円環と調和の自然思想として、「我れ在るが故に我れ思う」という、を提唱しています。

そういう意味で、ここ世界はデカルトマジックに掛かり、近代文明を強いられてきました。

特に、東洋件は自然と同化・循環・調和する思想文化でありました。

しかし、それはかつて、アングルサクソンの西洋人たち(イギリス、フランス、ロシア)にアジアの殆どが侵略され、西洋思想(キリスト教、デカルト思想)を強いられてきたのです。

そして、彼らの定義である、自我中心の生命の尊厳性から離脱した、自然を支配する機械的二元論近代化から資本主義、マネーゲームの世界に化かされてのです。

その結果である、自然環境である生態系の破壊から、絶滅種が増え、温暖化、東洋文化圏の破壊、アフリカの民族の分断など、エゴイズム・マネーゲームはイスラム原理主義者たち(イスラム国、ISなど)のテロの促進をしてきました。

もうそろ、日本や世界からその愚かな先進国の横暴な遣り方に目を覚まさなければなりません。

これから、世界が表層的な自我から深層的な自己へ向かう、自然と共生する世界の各地域の民族や人々が、各々の気候風土に土着した伝統思想文化を相互に理解し、侵略はしなく、交流していき調和される世界をつくっていく、まさにパラダイム・シフトのターニングポイントが来たのです。

それでこそ、地球が球体で自転し、太陽を好転する意義があるのです。

それが私の提唱する真の立体的なコスモロジー(宇宙観)である、円環調和(真実の平和)される世界観が世界に築かれるのです。

以上


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