【健瀧ゼミナール 016】神道研究の旅
今日のゼミはダイナミックな螺旋について、話してみましょう。
考えてみれば実に不思議なことである。我々は今、不思議な時代に生きている。いや、生かされている。
世界の文化のすべてが、過去のものであれ、現在のものであれ、歴史的な記録が生きた実態として、ある程度まで入手可能な情報の時代である。
そして地球という惑星の歴史において、かつてこんなことが、起きたことは無かったであろう。
この惑星に生まれ、存在している人間にとって、数千年前から最近まではそれは想像までも、難しいことであっただろう。ある個人は、他の文化については、まったく何も知らない文化の中に生まれたのである。
例えば、中国人として生まれ、中国人として育ち、中国人として結婚し、中国の文化に従い、大抵の一生のすべてを何世紀も前に住み着いた土地のひと隅の同じ小屋で暮らしたのである。
孤立した部族や氏族から、小さな農村、あるいは古代国家、闘争しあっている封建的な帝国、それから国際的に連合している国家、そして全世界的村へ、統合的な村へと向かう、ある種この並外れた現象は人類の運命のように思えるのである。
この現象を欧米主義の学者達は自然に解体され、自然的に統合する法則としてみているが、皆さんは何処か、おかしい思想とは思いませんか?
何が解体し、何が統合するのであろうか?
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この度の、神道研究の旅は、表層的な形而下なる、神道の儀礼・神事が政治的なものへの擬似的なものがかなり有ったり、かつての豪族と外来人との癒着して、政治的に造った神社も多く有り、明治政府からの国家神道への作為的な権威の強化など、真相が浮き彫りにされてきました。
また、縄文からの土着した、純然たる神々の原初的な自然崇拝の神社は乏しく、形而上的にも、その見分け方をお話しします。
それは人間の自己なるものに目覚めていけば、また心なるものを清らかに禊ぎ、魂なるものを磨いていけば、魂の鏡に写り、真(まこと)は観えてくるのです。
ただし、自我的な迷いのある者には観えてきません。