【健瀧ゼミナール 010】人類が背負った宿命
人間社会の壮年時代 人類社会の歴史を人間の一生に例えてみるならば、いまや人間は間違いなく青年期をを超え、壮年時代に入ったといわざるおえないのである。
それは1945年8月6日に、私の故郷である日本列島の広島 に始まったのである。
この日アメリガは空軍のB29に乗せていた原子爆弾によって、一挙に20万人近い人々が殺傷されたのである。そして広島の街は焼け野原になったのである。
その放射能の影響は50年以上の年月を経った今も被爆者におよび続けているのである。
さらに8月9日にこの原子爆弾は長崎に投下された。
まさにこの世の、悲惨な生き地獄をみせられたのである。
それも10万人を及ぶ膨大な人命を失われたのである。
このアメリカによる原爆投下は、ごく短期的には大日本帝国の降状、その敗戦をもたらす決定的な契機となったが、人類が自らを滅ぼしうるだけの巨大な力を、自然の中から開発をしたといういたがう余地のない厳粛な事実を、多大な犠牲を払って結果的な明確にしたという点で、人類の歴史に時期を画することになったのである。
そして実際にこれ以後のたいこくのあいだでの核兵器開発 をめぐる激しい競合の中で、人類は1歩その歩みを間違えれば、死滅する危機にさらされているのである。
その危機は永遠に続くのである。
その事を今、人類は何を思いかんがえているのであろうか?